2015年3月26日木曜日

名前の由来

ブログの名前の由来だが,大したものではなく,「秋口,山中の人里離れた寂しい場所に苔むした侘しい庵があり,その柱には過ぎた夏を忍ばせる蝉のぬけがらがぽつんと残っており,そこで一人綴るごくごくつまらない私的な世事の記録」というような印象で名づけた.

読み方についてはそもそも「蝉々」などという語は,私の知る限りないため,自由に適当に読んでよいと思うが,自分では「せみせみてい」と読んでいる.他には「せいせいてい」,あるいは意味をくみ取って「みんみんてい」と読んでもいいかもしれない.「蝉々」という名詞を,例えば木々に鈴なりになる蝉の大群を表すものとして,これを許せば,「神々」などと同様におそらく連濁すると思われるので,「せみぜみ」または「せいぜい」となると思うが,「とんとん」と戸を叩いた,というように擬音語として,例えば「せみせみ」と蝉が鳴いている,と考えると連濁はしないのではないかと思われる.「みんみん」ではそもそも濁らせることはできない.「せいぜい」として,「精々」とかけるのは面白いかもしれない.自分では,この名前を調音することはめったにないが,清音の響きを楽しんでおり,そのため「せみせみ」という読み方が気に入っている.

私の実家の周りはずいぶん蝉が多く,夏ともなると蝉のぬけがらが外壁に多く見られて,私は昔から蝉が好きである.ひと夏に数匹は羽化に失敗する蝉がおり,まさに死にゆく小さな虫の姿を見ると世の無常を感じざるを得ず,数年の地中生活ののちにようやくたどり着いた地上で,飛び立つことなく世を去る虫の姿を見ると胸がつまった.

昔から,世を離れて隠遁して暮らしたいという気持ちがあり,今でもいわゆる隠者の生活に憧れることがある.そういった生活が許されることは当面なさそうではあるが,精神の上ではそういった心を大切にしたい.あまり意図せずに研究者になってしまい,これは他の職業でも大差はないとは思うが,自分の成果というものを世に主張し続ける必要に駆られている.虚栄心というものが自分にも当然あるため,嫌なことばかりではないのだけれども,人に交わって自分の成果というものを喧伝するというのは根本的には自分にはあまり向いていない作業なのではないかと思う.この時期はいわゆる年度の末で, こういった作業をしなければならず,どうにも憂鬱である.

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