2015年3月29日日曜日

自動運転と自然言語処理

ここしばらく注目を集め続けている重要な技術目標として,自動運転が挙げられることは言を俟たないと思います.この問題は,本質的には画像認識とそれに基づく制御の問題で,自然言語処理にはあまり関係はなく,したがって研究者としての私にも同様にあまり関係のないものだと考えていました.しかし,どうも,ここしばらく,自然言語処理もこの自動運転にそれなりに関係してくるのではないか,と思い始めました.今回の言語処理学会ではこういったご発表がありました:
また,昨年の人工知能学会ではこういったご発表もありました:
こういった運転免許の学科試験を扱う課題は,平さんがお書きになっておられるように,「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトと同じように,自然言語処理の現実的な諸課題を適度に縮小したテスト・ベッドとして扱われているものだとこれまで考えていました.しかし,冒頭でご紹介した,今回の言語処理学会のご発表を拝見して気がついたのですが,これはなかなかどうして自然言語処理にも関連する話題に思われてきました.

この課題については,法的な観点と技術的な観点から考えられるようです.まず,法的な観点を考えると,ある種の機械が自動車を運転するということをどのようにして許すべきなのでしょうか.ハンドルやアクセルペダル,ブレーキペダル,シフトレバーといった基本的なインターフェイスを備えたこれまで通りの自動車が存在するものとして,方法はともかく(これらの物理的に操作するのではなく電子的に操作することも考えて),これらのインターフェイスを通じて自動車を運転する何らかの機械にどのように運転免許を与えるべきなのでしょうか.やはり,試験を機械に突破してもらわないといけないような気がしてきます.

ご存じの通り運転免許は技能試験と学科試験(と適性試験がありますが,この能力については人間より機械の方が高いでしょう)から構成され,前者ではS字やらクランクやらを通過させられたりするわけで,こちらについてはおそらく画像認識が中心的な課題となるのでしょう.もう一方の学科試験は,これは機械に自然言語解析の段階から挑戦させるのか,あるいはテキストには豊富な前処理(正しい解析)が加えられており(東ロボの問題設定は現時点ではこちらでしたね)その後の推論を主に問題にするのかによってずいぶん毛色は異なるものの,前者であれば自然言語処理の出番が大いにあるように思えます.

後者の技術的な観点に関しては,交通法規や自動車の運転に必要な暗黙的な知識ををどのような形で機械が保持しておくべきかという問題があるように思われます.交通法規は頻繁ではないものの改正がなされることがあり,これについては冒頭の文献で河辺さんが指摘されているように機械にハードコーディングするべきではなく,別途,交通法規オントロジーとして,静的な形で保持しておく必要があるように思われます.

交通法規についてはあまり頻繁に改正されるようなものではないと思われるため,交通法規オントロジーは人手で作り込めばよく,そのためあまり自動獲得の要はないようには思えます.一方,その周辺に存在する,交通マナーであるとか,あるいはいわゆる危険予測で問われるような交通に関する暗黙的な知識は容易には書き尽くせないと思われます.これらをどのように獲得,表現し,その上で推論するかという課題がここにはあるように思われ,雲をつかむような話にも思えますが,何かしらの知識獲得が必要になってくる気配はあります.

さほど遠くない先にこのあたりについては面白い結果が出てくるのではないかと思われ(既にあるのかも),今後も注目していきたい分野です.

2015年3月26日木曜日

名前の由来

ブログの名前の由来だが,大したものではなく,「秋口,山中の人里離れた寂しい場所に苔むした侘しい庵があり,その柱には過ぎた夏を忍ばせる蝉のぬけがらがぽつんと残っており,そこで一人綴るごくごくつまらない私的な世事の記録」というような印象で名づけた.

読み方についてはそもそも「蝉々」などという語は,私の知る限りないため,自由に適当に読んでよいと思うが,自分では「せみせみてい」と読んでいる.他には「せいせいてい」,あるいは意味をくみ取って「みんみんてい」と読んでもいいかもしれない.「蝉々」という名詞を,例えば木々に鈴なりになる蝉の大群を表すものとして,これを許せば,「神々」などと同様におそらく連濁すると思われるので,「せみぜみ」または「せいぜい」となると思うが,「とんとん」と戸を叩いた,というように擬音語として,例えば「せみせみ」と蝉が鳴いている,と考えると連濁はしないのではないかと思われる.「みんみん」ではそもそも濁らせることはできない.「せいぜい」として,「精々」とかけるのは面白いかもしれない.自分では,この名前を調音することはめったにないが,清音の響きを楽しんでおり,そのため「せみせみ」という読み方が気に入っている.

私の実家の周りはずいぶん蝉が多く,夏ともなると蝉のぬけがらが外壁に多く見られて,私は昔から蝉が好きである.ひと夏に数匹は羽化に失敗する蝉がおり,まさに死にゆく小さな虫の姿を見ると世の無常を感じざるを得ず,数年の地中生活ののちにようやくたどり着いた地上で,飛び立つことなく世を去る虫の姿を見ると胸がつまった.

昔から,世を離れて隠遁して暮らしたいという気持ちがあり,今でもいわゆる隠者の生活に憧れることがある.そういった生活が許されることは当面なさそうではあるが,精神の上ではそういった心を大切にしたい.あまり意図せずに研究者になってしまい,これは他の職業でも大差はないとは思うが,自分の成果というものを世に主張し続ける必要に駆られている.虚栄心というものが自分にも当然あるため,嫌なことばかりではないのだけれども,人に交わって自分の成果というものを喧伝するというのは根本的には自分にはあまり向いていない作業なのではないかと思う.この時期はいわゆる年度の末で, こういった作業をしなければならず,どうにも憂鬱である.

ウェブサイトとブログ

先日,ふと思い立って独自のドメインを取得してみた. hitoshi.nishikawa.name というもので,身も蓋もない名称であるが,これまで書いてきた論文の一覧など(論文の一覧だけならば Google Scholar でいいかもしれないが,特許などもあるので)を載せておくウェブサイトは研究者にはほぼ必須であるし,長く使うものになるかもしれないので,わかりやすいものにしようとは考えた.この .name ドメインは個人で利用されることが想定されているドメインで,一応,想定された使途に従ってドメインを取得したことになる.このドメインは面白くて,転送用のメール・アドレスが1つついてくる.私のウェブサイトのトップページに載っているものがそれで,広く使えそうではある.

Google Sites と Blogger はこういった独自ドメインにマッピングをすることができて,今回それを試してみた.はてなダイアリーはちょっと使いづらかったので,今後はこちらに移転しようと思う.