2016年7月5日火曜日

MBA を取りに行くことに

今月末からサバティカルを取り,スペインはマドリードにある IE 経営大学院に1年ほど学生として通うことになった.いわゆる Master of Business Administration (MBA) というものを取りに行くことになる.まあ,普通,私のような立場にいる人間が MBA を取りに行くことはないと思われる.さすがに当面,身近なところから後に続く人が出るとは思えないが,思ったところを1つ書いておこうと思う.

Why MBA

MBA を目指すに際し,まず問題になってくるのがその理由. MBA スクールへの出願に際してはエッセイを提出する必要があり,加えて面接も行われるが,その際に確実にこの Why MBA を尋ねられる.そのため,この動機の品質は入学可否に直接関わり,精神論ではなく,それなりに論理的な理由が必要になってくる.

私が出願の過程で中心に据えた動機は技術の実用化に関する問題意識で,こういった話は私がどうこう言っても車輪の再発明にしかならないが,やはり1人の技術者としては個人的にいろいろと思うところがある(あった).私は2008年に修士課程を修了し,前職の通信キャリアに入社した.その後7年と少し,研究開発部門に技術者として勤務し,自然言語処理の研究開発に従事し,2015年からは国立大学に教員として奉職している.前職ではいろいろなことをやらせてもらったが,率直に言って,実用化に関してはどちらかというとうまくいかないことが多かった.私自身は研究だけでなく実用化までしっかりやっていきたいと思っているが,前職のような大企業ではなかなか考えたことをすぐに実用化というわけにはいかず,実用化に際しては包括的かつ系統的な作戦を立てる必要があって(このこと自体がそもそも根本的に間違っているが),この点において自分の力不足を常に感じていた.もちろん,実用化を推進していくにあたっては,何も MBA を取らずとも,他にも様々な手段をとることができるが,いずれにせよビジネス・サイドについて一通り学んでおく必要があると痛感したこともあり,短時間で集中的に一揃いの知識を,抜け漏れなく,効率的に取得するための手段として, MBA を取ることにした.

身の程を弁えずに言うと,多少近いキャリアとして,中央大学の竹内健先生のそれが挙げられると思う.先生のインタビューを拝読すると,私と非常に近いことをお考えになっておられて驚いてしまうが,大企業の中で技術者として仕事をしていると,こういった経験は多かれ少なかれ誰にでもあるのではないかと思う.

もう1つ念頭においていたことは,学生のときに受けた,当時准教授を務めておられた小杉俊哉先生の MOT に関する講義の中のことで,2つくらい専門を持っておくと,その組み合わせの特異性によって食いっぱぐれづらくなるというようなお話があった.まあ, MBA を取ったからといってそれが専門性としてすぐに活かせるようになるわけではまったくないだろうが,一方で,私の知る範囲では国内の自然言語処理研究者で MBA を保持している人はおそらくおらず(国外では HKUST の Dekai Wu 先生が EMBA を保持しておられる),そもそもそんなものが役に立つのかという話もありあまり自信はないが,多少希少な背景の持ち主にはなりうるので,そういった意味でもいくらか役に立つかなとは思う.今の職位には任期もあるし, MBA を持っておくと行きやすいポジションというものは確かにあるので,多少頑健性が高まるのではないかと期待している.

最後に,もはや理由も忘れてしまったが, MBA を取りたいと初めて感じたのはおそらく高校生くらいの頃だったと思う.それ以来,そういった気持ちは頭の片隅にはあったものの,そもそもが何となく思っている程度のものであったので,あまりそれが表に出ることもなかったが,再び確固とした目標としてそれが現れたきっかけは東日本大震災だった.

ちょうどその頃,私が開発した技術を使って新しいサービスを1つ立ち上げたのだが,震災後の諸々でサービスは頓挫してしまった.天災とはいえ,そういった状況をうまくハンドルできなかったことは心に残っている.

また,件の震災で私の友人が亡くなったことも大きい.訃報に接しては,人の世の無常とでも言おうか,いずれ私も死ぬのだと深く理解した.以来,端的に言えば,死ぬときに後悔しないように生きようと決心した.そんなに大した目標か,という気もするが,かといって MBA を取ろうと試みておかないと,年老いてから,挑戦しておけばよかったなあと,内心後悔しつつ,酸っぱい葡萄の寓話の如く振る舞う醜い自分が想像されたので,せっかくなので挑戦してみることにした.あまり私は勤勉な人間ではないし,誠に残念ながら賢くもないが(この業界,異常に勤勉で賢い人ばかりでなかなか厳しいものがある),やはりできる範囲で人生を楽しんでおきたいし,死ぬときにできるだけ後悔はしたくないと思う.これはごく個人的なものであるので,出願中にエッセイの内容に使うことはなかったが,自分にとっては一番大きな動機だと思う.

Why IE

次に,出願のときには,なぜうち(ある学校の MBA 課程)に来たいの,と問われる.ここはわかりやすいところで,まず MBA 課程の期間がある.概ね,米国の MBA 課程は2年だが,欧州のそれは1年から2年といくらか短い.私は30歳を超えていて,しかも留学に要する費用は自腹(私費留学)であるため(一方,企業からは派遣される形態は社費留学と呼ばれる),1年制の学校を選択した.これが制約条件で,その上で目的関数として学校のランキングや自分の目標との適合性が出てくる.

ランキングというのも実に参考にならないもので,多数のランキングがあり,それぞれのランキングがそれぞれ異なる基準で学校の順位をつけるため,ランキング毎に学校の順位が変わってくる.一方で MBA 課程修了生を採用する企業はこういったランキングを参考にしてできるだけランキングの高い学校を修了した学生を採用しようとする.私自身はあまりランキングにこだわりがあるわけではなかったものの,一応参考にした. Financial Times Global MBA Ranking 2016 のうち,1年制となると INSEAD や Cambridge,IE,IMD といったあたりが候補になってくるが,この中でも IE は Entrepreneurship Education において高名で,技術の実用化に関心のある自分にとって都合がよかった.加えて, IE の入学者は世界の MBA 課程の中でもっとも多様性に富むとされており(世界90カ国から入学者が集まる),私は基本的に日本国内で教育を受けてきたので,どうせなら多様な学生がいるところがよかろうということもあった.

Why Now

最後に,何でいま取るの,という質問がある. MBA 課程への入学者の平均年齢は,米国の課程の方が若く,欧州の課程は少し年齢が上がるが,それでも30歳前後かもう少し若い程度で,自分はどちらかというと年長者の部類に入る.そのためできるだけ早い方がよいということがあるし,加えて,自分がこれまで携わってきた分野に関しては多少,専門性が醸成されてきたという気持ちがあるので,そろそろ別の勉強もしておきたいと考えた.

出願

御託はいろいろあるものの,とにかく入学試験を通過しなければならなかった.わかりやすい基準としては,これまで書いたが,まず TOEFL や IELTS といった英語の試験で高得点を取る必要がある.まずこの得点を上げるのがなかなか難しい.加えて, GMAT を頑張らないといけない.これには実にうんざりさせられたが,まあ,何とかなった.

加えて,学士課程の GPA も評価の対象になる.自分の場合は,あまり真面目な態度の学生ではなかったが,大学での勉強が面白かったこともあり, GPA は悪くなかったため,ここはあまり問題にならなかった.

出願に向けてのスコア・メイク,履歴書の作成,エッセイの準備,インタビュー(面接)の準備など,費やした時間を考えると恐ろしくなり,研究者としてはその時間を研究に充てて論文を書いた方が得策だったのかもしれないと思うことはあるものの,まあ,自分のような風変わりな人間も許容してくれる風土が私のいる分野にはあるように思え,論文を書くといったこと以外の手段を通じた貢献,キャリア形成ということもできるのではないかと楽観している(楽観していないとやっていられないということがあるが).

そんなこんなで

こういった次第ではあるが,結構大変なカリキュラムなので,そもそもちゃんと修了できるかわからないが,何とか頑張り1年間を有意義なものにできればと思う.まあ,これまで結構いろいろ大変な目にあってきたので,それらに比べれば何とかなるのではないかとは思うが…….これからの1年での学びを通じて,ちょっと違った視点から言語処理に貢献できればと思っているが,はてさて,どうなることやら…….

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