2016年7月5日火曜日

MBA を取りに行くことに

今月末からサバティカルを取り,スペインはマドリードにある IE 経営大学院に1年ほど学生として通うことになった.いわゆる Master of Business Administration (MBA) というものを取りに行くことになる.まあ,普通,私のような立場にいる人間が MBA を取りに行くことはないと思われる.さすがに当面,身近なところから後に続く人が出るとは思えないが,思ったところを1つ書いておこうと思う.

Why MBA

MBA を目指すに際し,まず問題になってくるのがその理由. MBA スクールへの出願に際してはエッセイを提出する必要があり,加えて面接も行われるが,その際に確実にこの Why MBA を尋ねられる.そのため,この動機の品質は入学可否に直接関わり,精神論ではなく,それなりに論理的な理由が必要になってくる.

私が出願の過程で中心に据えた動機は技術の実用化に関する問題意識で,こういった話は私がどうこう言っても車輪の再発明にしかならないが,やはり1人の技術者としては個人的にいろいろと思うところがある(あった).私は2008年に修士課程を修了し,前職の通信キャリアに入社した.その後7年と少し,研究開発部門に技術者として勤務し,自然言語処理の研究開発に従事し,2015年からは国立大学に教員として奉職している.前職ではいろいろなことをやらせてもらったが,率直に言って,実用化に関してはどちらかというとうまくいかないことが多かった.私自身は研究だけでなく実用化までしっかりやっていきたいと思っているが,前職のような大企業ではなかなか考えたことをすぐに実用化というわけにはいかず,実用化に際しては包括的かつ系統的な作戦を立てる必要があって(このこと自体がそもそも根本的に間違っているが),この点において自分の力不足を常に感じていた.もちろん,実用化を推進していくにあたっては,何も MBA を取らずとも,他にも様々な手段をとることができるが,いずれにせよビジネス・サイドについて一通り学んでおく必要があると痛感したこともあり,短時間で集中的に一揃いの知識を,抜け漏れなく,効率的に取得するための手段として, MBA を取ることにした.

身の程を弁えずに言うと,多少近いキャリアとして,中央大学の竹内健先生のそれが挙げられると思う.先生のインタビューを拝読すると,私と非常に近いことをお考えになっておられて驚いてしまうが,大企業の中で技術者として仕事をしていると,こういった経験は多かれ少なかれ誰にでもあるのではないかと思う.

もう1つ念頭においていたことは,学生のときに受けた,当時准教授を務めておられた小杉俊哉先生の MOT に関する講義の中のことで,2つくらい専門を持っておくと,その組み合わせの特異性によって食いっぱぐれづらくなるというようなお話があった.まあ, MBA を取ったからといってそれが専門性としてすぐに活かせるようになるわけではまったくないだろうが,一方で,私の知る範囲では国内の自然言語処理研究者で MBA を保持している人はおそらくおらず(国外では HKUST の Dekai Wu 先生が EMBA を保持しておられる),そもそもそんなものが役に立つのかという話もありあまり自信はないが,多少希少な背景の持ち主にはなりうるので,そういった意味でもいくらか役に立つかなとは思う.今の職位には任期もあるし, MBA を持っておくと行きやすいポジションというものは確かにあるので,多少頑健性が高まるのではないかと期待している.

最後に,もはや理由も忘れてしまったが, MBA を取りたいと初めて感じたのはおそらく高校生くらいの頃だったと思う.それ以来,そういった気持ちは頭の片隅にはあったものの,そもそもが何となく思っている程度のものであったので,あまりそれが表に出ることもなかったが,再び確固とした目標としてそれが現れたきっかけは東日本大震災だった.

ちょうどその頃,私が開発した技術を使って新しいサービスを1つ立ち上げたのだが,震災後の諸々でサービスは頓挫してしまった.天災とはいえ,そういった状況をうまくハンドルできなかったことは心に残っている.

また,件の震災で私の友人が亡くなったことも大きい.訃報に接しては,人の世の無常とでも言おうか,いずれ私も死ぬのだと深く理解した.以来,端的に言えば,死ぬときに後悔しないように生きようと決心した.そんなに大した目標か,という気もするが,かといって MBA を取ろうと試みておかないと,年老いてから,挑戦しておけばよかったなあと,内心後悔しつつ,酸っぱい葡萄の寓話の如く振る舞う醜い自分が想像されたので,せっかくなので挑戦してみることにした.あまり私は勤勉な人間ではないし,誠に残念ながら賢くもないが(この業界,異常に勤勉で賢い人ばかりでなかなか厳しいものがある),やはりできる範囲で人生を楽しんでおきたいし,死ぬときにできるだけ後悔はしたくないと思う.これはごく個人的なものであるので,出願中にエッセイの内容に使うことはなかったが,自分にとっては一番大きな動機だと思う.

Why IE

次に,出願のときには,なぜうち(ある学校の MBA 課程)に来たいの,と問われる.ここはわかりやすいところで,まず MBA 課程の期間がある.概ね,米国の MBA 課程は2年だが,欧州のそれは1年から2年といくらか短い.私は30歳を超えていて,しかも留学に要する費用は自腹(私費留学)であるため(一方,企業からは派遣される形態は社費留学と呼ばれる),1年制の学校を選択した.これが制約条件で,その上で目的関数として学校のランキングや自分の目標との適合性が出てくる.

ランキングというのも実に参考にならないもので,多数のランキングがあり,それぞれのランキングがそれぞれ異なる基準で学校の順位をつけるため,ランキング毎に学校の順位が変わってくる.一方で MBA 課程修了生を採用する企業はこういったランキングを参考にしてできるだけランキングの高い学校を修了した学生を採用しようとする.私自身はあまりランキングにこだわりがあるわけではなかったものの,一応参考にした. Financial Times Global MBA Ranking 2016 のうち,1年制となると INSEAD や Cambridge,IE,IMD といったあたりが候補になってくるが,この中でも IE は Entrepreneurship Education において高名で,技術の実用化に関心のある自分にとって都合がよかった.加えて, IE の入学者は世界の MBA 課程の中でもっとも多様性に富むとされており(世界90カ国から入学者が集まる),私は基本的に日本国内で教育を受けてきたので,どうせなら多様な学生がいるところがよかろうということもあった.

Why Now

最後に,何でいま取るの,という質問がある. MBA 課程への入学者の平均年齢は,米国の課程の方が若く,欧州の課程は少し年齢が上がるが,それでも30歳前後かもう少し若い程度で,自分はどちらかというと年長者の部類に入る.そのためできるだけ早い方がよいということがあるし,加えて,自分がこれまで携わってきた分野に関しては多少,専門性が醸成されてきたという気持ちがあるので,そろそろ別の勉強もしておきたいと考えた.

出願

御託はいろいろあるものの,とにかく入学試験を通過しなければならなかった.わかりやすい基準としては,これまで書いたが,まず TOEFL や IELTS といった英語の試験で高得点を取る必要がある.まずこの得点を上げるのがなかなか難しい.加えて, GMAT を頑張らないといけない.これには実にうんざりさせられたが,まあ,何とかなった.

加えて,学士課程の GPA も評価の対象になる.自分の場合は,あまり真面目な態度の学生ではなかったが,大学での勉強が面白かったこともあり, GPA は悪くなかったため,ここはあまり問題にならなかった.

出願に向けてのスコア・メイク,履歴書の作成,エッセイの準備,インタビュー(面接)の準備など,費やした時間を考えると恐ろしくなり,研究者としてはその時間を研究に充てて論文を書いた方が得策だったのかもしれないと思うことはあるものの,まあ,自分のような風変わりな人間も許容してくれる風土が私のいる分野にはあるように思え,論文を書くといったこと以外の手段を通じた貢献,キャリア形成ということもできるのではないかと楽観している(楽観していないとやっていられないということがあるが).

そんなこんなで

こういった次第ではあるが,結構大変なカリキュラムなので,そもそもちゃんと修了できるかわからないが,何とか頑張り1年間を有意義なものにできればと思う.まあ,これまで結構いろいろ大変な目にあってきたので,それらに比べれば何とかなるのではないかとは思うが…….これからの1年での学びを通じて,ちょっと違った視点から言語処理に貢献できればと思っているが,はてさて,どうなることやら…….

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2016年6月27日月曜日

英語の苦労(承前)

前回, TOEIC や TOEFL , IELTS について書いた.そろそろ書いておかなければ永遠に書かないことになりそうなので, GMAT について書いておきたい.

この GMAT という試験はある種の専門職大学院に入学するための国際的なセンター試験のようなもので, Graduate Management Admission Council という米国の非営利団体によって主催されている. GMAT の難易度は,ずいぶんと苦労させられた TOEFL などをはるかに上回るもので,ひとまず受けてみようと特に準備もせずに初めて受験したときには,いま思えばそれはまったく無謀かつ軽率な試みであったが,唖然とさせられたことが思い出される.ほとんどの人はこんな試験を受ける必要はなく,それは実に幸いなことであると思われるが,私の場合,不幸にして受験する必要が生じてしまったため,本当に苦労した.年単位の努力がこれも必要だった.このブログを読む可能性のある人で GMAT を将来受ける人はごくわずかだとは思うが,わずかでも後に続く人がいることを願って,苦労を記録しておきたい.

GMAT は以下の4科目(?)からなる:

  1. Analytical Writing Assessment (AWA)
  2. Integrated Reasoning (IR)
  3. Quantitative
  4. Verbal

いわゆる GMAT のスコアとして問題になってくるのは Quantitative と Verbal で,これらの2つのスコアから Total Score と呼ばれる,200点から800点の間のスコアが出される.目標にもよるが,概ね600点後半以上を得ることが GMAT では必要になってくる.面倒なので AWA と IR はここでは脇に置き, Quantitative と Verbal について書いておきたい.

Quantitative

Quantitative は数学の問題が出題される.75分間で37問を解く必要がある.日本の学校教育では中学校の後半から高校の前半に習うような問題が出題されるため,日本人にとっては与し易いが,問題は全て英語であるため,数学の問題に用いられる用語を一通り覚える必要がある.1問あたり約2分で解かなければならないことに加えて,計算が面倒で,また誤りを誘うようにわざと設計された問題が多い.ただ,あとに述べる Verbal は日本人にとっては(英語を母語としない話者には)相当難しいので, Total Score のためには Quantitative はほぼ満点を取る必要がある.

Verbal

GMAT の Verbal は以下の3種類の問題からなる.全体では Quantitative と同様に75分だが,問題数が41問とかなり多い.加えて, Quantitative もそうだが,コンピュータ適応型試験なので(項目反応理論に詳しい方もいるであろう),最初の方は時間をかけて問題をとき,配点が高い問題が出題されるようにしつつ,一方で全ての問題を解き切ることは容易ではないので長文読解問題である Reading Comprehension を適宜「捨てる」など,時間配分が決定的に重要になってくる.

Reading Comprehension

GMAT で最も問題になってくるのがこの Reading Comprehension で,難解な語彙で書かれた文章を急いで読解した上で込み入った質問に解答しなければならない.文章の長さは,概ね ACL Format で書かれた論文1ページの半分から4分の3というところ.問題は文章の主題が多岐にわたっているところで,経済学などの社会科学に関するものや天文学などの自然科学に関するものなど,様々な主題について書かれた文章を理解するためにはまず語彙を大幅に補強する必要がある.これが一番大変だったところで,見たこともないような単語を大量に覚える必要があった.もうこればかりはどうしようもないので,延々と単語を覚えていた.文章の難しさは TOEFL 以上だが,出題される問題は TOEFL と同じようなものなので,とにかく単語を覚える必要がある.75分のうちに長文読解を全て完全に解くのはなかなか難しく,場合によっては適宜捨てる必要が出てくる.

Critical Reasoning

GMAT 独特の試験がこれで,1パラグラフの文章を読んで,その中で展開されている論理を最も攻撃する,あるいは補強するなど,文章の論理的な構造を適切に理解してそれに対応した解答を選ぶ問題.文章がさほど長くないこともあり, Reading Comprehension よりは与し易いが,意外と難しい.

Sentence Correction

Sentence Correction は,我々自然言語処理研究者には馴染み深い,文法誤り訂正の問題で,解答者は人間英語文法誤り訂正器になりきる必要がある.具体的には1つの例文に対し,少々異なる4つの文と元の文が1つ選択肢として出題され,正しいものを1つ選ぶことになる.時間との戦いとなる Verbal においては, Reading Comprehension と Critical Reasoning の問題は適宜取捨選択する必要が出てくることがあるため,相対的に与し易い Sentence Correction をほぼ完璧に解く必要がある.ただ GMAT の Sentence Correction が問うてくる文法はかなり定型的なものであるため,文法知識を一通り覚えておけば何とかなりやすい.

GMAT との戦いをひとまず終えた身として切に思うことは,独学するべきではなかった,ということに尽きる.教科書を買って独学で勉強していたが,学費を払って GMAT 対策の学校に通っておいた方がはるかに効率がよかったのではないかと思う.

一方,言語処理を仕事にしていることは, GMAT の勉強に対しては少なからず役に立ったように思う. Quantitative については,多少の数学を道具として仕事に使う身としては容易に対処できるものであったし, Verbal の特に Sentence Correction で必要になってくる文法の知識は言語処理で必要になる知識と親和性が高かった.副次効果としては Sentence Correction の勉強を通じて,学生の書いた論文の添削が素早く正確になった……ような気がする.

もし同業者の方で GMAT を受けることになる人がいれば相談してください.多少,助言できるのではないかと思います.

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2016年3月29日火曜日

言語処理学会第22回年次大会

言語処理学会第22回年次大会に参加してきた.所感をいくらか書き留めておきたい.

ポスター

研究室の学生4名がポスターで発表したので,横に付き添って説明の補助をしていた.4名分のポスターに付き合ったので,木曜日の晩にはさすがに疲れ果てていた.あんなに疲れたことはないというくらい疲れていた.来年はあまり真面目に付き添うのは止めようと思う.

聴講

生成・要約セッションの座長をした.

日本語文生成器Haoriにおける複文合成(緒方健人, 佐藤理史, 松崎拓也 (名大))

実に渋い研究で,生成をやっていないとこのありがたさはなかなかわからないと思われるが,機械に複文を作らせるというもの.やってみるとわかるのだが,機械に複文を作らせるのはかなり難しい.単文を接続する構造の多様性およびその構造の網羅的な列挙が簡単ではないことが原因だが,それを列挙し実装したというもの.例の,星新一風のショート・ショートを機械に書かせる計画の1つのアウトプットということになるのだと思うが,こういった手堅い成果物こそ評価すべきなのではないかと思う.

要約長,文長,文数制約付きニュース記事要約(田中駿, 笹野遼平, 高村大也, 奥村学 (東工大))

自動要約システムの基本的な枠組みとして, Multi-Candidate Reduction (pdf) というものがある.文短縮などで元の文の亜種をあらかじめ大量に生成しておき,あとでうまく選択してやるというもので,生成における overgenerate-and-ranking (pdf) と同様の考え方になる.この研究では文短縮だけではなく文融合 (pdf) も文の亜種を生成する際に利用しており,自動要約研究として正しい方向に進んだものと思われた.大量に収集可能な livedoor news の要約を評価に利用している点もよい.ただし,参照要約とほとんど同等のものがどの程度できたか,という評価が必要だと思われた.

圧縮型要約のオラクルに関する考察(平尾努, 西野正彬, 永田昌明 (NTT))

これはもう,さすが,という他ない.機械翻訳において,ある特定のモデルが出力可能な翻訳のうち,ある尺度において最良の翻訳をオラクルという言い方をする (pdf) が,自動要約においてもオラクル要約というものを考えることができる.この研究は文短縮を行った場合のオラクル要約を議論するもので,その結論は示唆に富んでいる.印象深い結論は,

  • 文抽出だけでかなり高い ROUGE スコアが達成できる
  • 文短縮まで行うと ROUGE スコア上は参照要約に極めて近いものが生成できる
というもの.我々自動要約研究者は要約器にもっと洗練された文生成機能を付与させようと躍起になるけれど,そもそも
  • 重要文抽出が未解決
  • 文短縮のような比較的単純な生成でも大抵の場合十分
ということが示唆される.研究の方向性を示唆する研究,というのは熟練の研究者ならではの仕事であろう.自分もいずれこういう研究ができるようになりたいものだが,果たして……と考え込んでしまった.

チュートリアル

今回はチュートリアルの担当だったので,チュートリアルにお呼びする方を決める必要があった.チュートリアル担当は年次大会のプログラム委員の仕事の中でも,プログラムに積極的に介入できる数少ない仕事であるように思われる.

ワークショップ

ワークショップを開催してみた.自由が丘のビア・バーで徳永先生と岩倉さんと飲み,そのあと更に武蔵小杉のスナックで岩倉さんと飲んでワークショップの基本的な方針が決まった.どうも,重要なことは飲み屋で決まることが多いように思う.2014年,2015年もワークショップに関わったので,3年連続になる.音頭を取る立場は初めてだったが,意外とさほど苦労しなかった.素晴らしい発表を多数頂戴でき,大変な盛況であったと言えるのではないか.今回,遠隔での発表を試みたが,ワーク・ライフ・バランスのセッションの中でこれができたことは価値があることだと思っている.

世界一の日本語の自然言語処理とは? (永田昌明 (NTT))

全てのご発表が興味深いものだったが,特に印象に残ったのは永田さんのこのご発表で,なかなか(もちろんよい意味で)過激な内容を含んでいた.私自身はかなり応用を意識する研究者だと思うので,立場としては永田さんにかなり近い.

宴会

今年も会期中,毎晩宴会だった.昨年さすがに飲みすぎたと反省したので,今年は少し抑えたが,来年は更に抑えたい.体力がずいぶん落ちている.ワークショップ後の懇親会で行ったせり鍋の店は素晴らしかった.

来年は筑波大学にて開催とのこと.

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2016年2月29日月曜日

人をどう見るか

教員になって学んだことは数多くあるが,大きな1つはある人の人となりをどのように見るか,ということにあるように思う.もちろん,これまで自分は数多くの人に会ってきたので,それぞれの人がどのような人であるか,ということについて自分なりの見解を持って生活してきたし,それに基づいて人と接してきた.しかし,どうもこれまでは人をどのように見ればいいか,ということについて深く納得できたことはないように思う.そういったことに関する本もいくつか読んだが,根本的に人間は極めて複雑なもので,人となりについてはかなり曖昧な,概ねこういったものであろう,といった捉え方しかできなかったし,今後もそうせざるをえないのであろうと思って生きてきた.しかし,教員になってからは,この点についてかなり理解が深まったというか,自分なりの指針ができたように思う.腑に落ちた,ともいえる.そのことについてちょっと書いておきたい.

人となりを探る実験

教員の面白いところは,学生に対してある種の人となりを探る実験をしていることにあるように思う.いま,私は6人の学生と週に1度,打ち合わせを持っている.打ち合わせでは学生2人が1つの組となっているので,週に3回の定期的な打ち合わせがある.打ち合わせでは学生から研究の進捗状況を聞き,適宜助言をし,次の打ち合わせまでの宿題を設定する.これをここ1年弱,繰り返してきたわけだが,さすがに1年近く同じことを繰り返しているとその学生の人となりがかなりよくわかってくる.この過程の重要な要素を抽出すると,以下のようになると思う.

同じ入力を与える

重要な要素の1つは,別の人に同じような,少なくともかなり近い指示を与えたときに,どのような反応をするかと観察することにあると思う.教員はこれを観察するのに非常に適していて,打ち合わせで同じような指示を異なる学生に与えたときに,その次の週に,学生がその指示に対するどのような回答を用意してくるか,加えてどのように回答を用意してくるかで,その学生の人となりが如実に表れる.おそらく,同じような職務を果たす複数人の人を管理する管理者も同じような見識を得られるのだと思う.どうも,前職の研究所では,少なくとも私のいた部署では,同じような職務を果たす人,というのはまずおらず,これは研究所では一人一殺とでもいうか,個々人がある特定の分野の専門家として異なる見解を持つことが当然であったからだと思うが,こういったことを実に観察しづらかった.教員の仕事の1つは当然だが学生を指導することにあるので,同じような条件で異なる対象を比較することができて,この点について理解が深まりやすい.

繰り返す

次に重要な要素はこの指示,すなわち入力と,それに対する回答,すなわち出力の観測を繰り返すことにあると思う.1度だけの反応であれば誤差かもしれないが,さすがに何度も繰り返すと一定の傾向が出てくる.毎回,締め切りをあまり守らない人はやっぱり守らないし,律儀に守る人はやはり守るので,これはその人が根本的にそういった傾向を持っているのであろうと判断して間違いないであろう.

固定された関係

最後の要素は,私と学生の関係が,教員と学生という極めて固定された,わかりやすい関係にあることにあると思う.学生と何らかのやり取りが生じるとき,私はあくまで教員として振る舞うし,学生は当然学生として振る舞う.これがあるとき,私がある学生と,家族あるいは友人のような関係を持っていたとすると,当然やり取りは異なるものになってくるだろう.教員と学生のような固定された立場を前提としてやり取りを行うことは,よく練られた実験設定に似て,反応の再現性を高めてくれる.また,異なる人を同じ状況で観察することを助けてくれる.どうも,私はこれまでかなり個別の人に対してその人に特化した付き合い方をしてきたように思う.友人Aには友人A向けの付き合い方,友人Bには友人B向けの付き合い方,ということをしていたため,異なる友人を同じ土俵に乗せて見てこなかったように思う.このことは人となりを見る見識を養うことをかなり妨げていたように思う.

一般化はできるのか

まとめると,ごくごく当然のことだが,同じような状況で同じようなやり取りを異なる人とすると,反応の違いによって人となりがわかってくることになる.どうも,私は,ある人と接する時,状況ややり取りの同一性の判断を,枝葉末節にこだわりすぎて,うまくしてこなかったように思う.人工的な環境では,就職や人事の上で生じる面接などがこれに相当するだろうが,日常的な状況ではなかなか難しい.これまではこういった,かなり理想的な環境での実験ということができなかったので,なかなか納得できることがなかったが,教員になってこういったことを一度体験すると,腑に落ちるとでもいおうか,ずいぶん納得できる.

おそらくさらに根本的にはその人をどのように見たいのか,どのように見るべきなのか,というある種の目的があることが重要であるように思えるが,それについてはもう少し考えないといけないことがあるように思う.まあ,ひとまずこんなところで…….

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2016年1月4日月曜日

英語の苦労

ふと以下のような @niam さんのツイートを目にした:

是非はともかく,英語を母語としない研究者には英語は面倒な問題で,特に私のいる分野は国際会議への投稿および国際会議での発表が非常に重要視されているので,現在のリングワ・フランカたる英語は職業上,不可欠なものであるように思える.自分の経験を開陳することに特に意味があるとは,すなわち誰かの役に立つとはあまり思えなかったし,またそもそもこういった話をすることは自分の無能さをさらけ出すようで非常に恥ずかしいので,こういった議論からは距離を置いていたけれど,昨年から教員になったこともあって,少し自分の経験を書いてみようという気になった.

結果としてとても長い記事になってしまったので,よほどお暇な方はお読みください(研究補償説というものがあるが,その例に漏れず,自動要約の研究をしている私は,話が長いと言われてよく怒られる).これがベスト・プラクティスだ,といって,何かしらのエッセンスを抽出した記事にするよりも,経験を踏まえてディティールを語った方がよいように思えたため,長い.

基本的な考え方

先日,教員向けの研修 (Faculty Development (FD) というらしい) で,教育工学を専門とされる方から習った「学習目標」なる概念は以下の3点からなるらしい:

  1. ゴールをどう設定するか
  2. ゴールに到達したことをどう知るか
  3. ゴールまでどうやって進むか

これは教育に限らず,ありとあらゆる,何らかの目標を設定してそれを達成しようとする営みに通じることであると思われる.教育工学(あるいは教育学?)の文脈でこれを習ったことはなかったが,この3点はいつも意識している.それを踏まえて,どういうふうに勉強してきたかを少し書いてみたい.

苦難の道のり

TOEIC

修士課程を修了して前職の NTT 研究所に就職したとき,研究者とみなされうる立場になってしまったので,英語を勉強しないと困るであろうと思い,ひとまず英語を勉強しようと決心した.身近な指標としては TOEIC であろうと思ったので,とりあえず TOEIC で900を取ることを目標にした.確か就職した段階では恥ずかしながら700そこらのスコアであったように思うので,200ほどスコアを伸ばすということになる.900というスコアをどのように設定したかについては特に記憶がなく,何となく,まあ,ひとまずそのあたりであろう,と決めたように思う( TOEIC や TOEFL を主催する ETS としては, TOEIC 860以上をAクラスとみなしているようだが,今となっては TOEIC 860 でAクラスというのは率直に言って非常に甘い基準だと思う)この頃は確か以下のようなもので勉強していた:

  • TOEIC の参考書全般:参考書という商売が成立しているだけあり,参考書は基本的にはよくできている.どれも勉強すればするだけスコアが上がる.こういった参考書はスコア別になっていることが多いので,勉強しては TOEIC を受け,スコアが伸びたらより高いスコアを目標とした参考書を買ってそれを勉強した.あまりたくさん書籍を購入できるほど裕福でもなかったので,同じ本を何度か勉強していた.
  • Speech and Language Processing:自然言語処理分野において名高いこの本は英語の学習において非常に役に立った.この本は音声認識や音声合成などの話題も扱っており,7章はそれらの準備のため音声学 (Phonetics) にあてられている.その内容は,人間の調音器官(喉や舌)の解説から始まり,ある音がどのように調音されるか要点をかいつまんで書かれている.発音に関してはむかし勉強したものの,科学的かつ系統的に学んだことはなかったように思う.
  • CNN News Digest: CNN の News の一部が切り出されて, CD とその書き起こしが販売されている.当時は自動車で通勤していたので(片道40分程度),これを聴きながら通勤していた.延々と聞いていたので,書き起こしをまるまる覚えてしまったが,書き起こしと音の対応を学習するという点ではよかったと思う.内容も真面目なニュースからかなりへんてこなニュース(コンピュータがついた棺桶だとか,最新の浮気検査薬だとか,カップル向けの銀行口座だとか)まで入っており楽しめた.確か後述するベルリッツの講師から勧められたように思う.このシリーズはいろいろあるので,いくつも買って繰り返し聞いていた.
  • 英語耳:これはどこで知ったのかよく覚えていないが,この本は英語の発音のドリルのような本で,これを少し勉強した(付属の CD を聞きながら,2回くらい通しで読んだ程度).上の Speech and Language Processing と合わせて,発音を復習するのに非常に役に立った.
  • 英語学習用の小説:学習者のレベルに合わせて編集された(使われている語彙が簡単になっていたり,ストーリーが適宜省略されている)海外の小説を読んでいた.これはあまり長続きしなかった.どうも,学習者のレベルに合わせて編集された小説はあまり面白くない.邦訳を読んだことのある,クラークやチャンドラーの小説を読んだが,妙味が失われていて,無味乾燥としたものになっていたように思う.それはつまり面白い小説を読むためには語学力が必要,ということなのだろうが…….
  • ベルリッツ:この頃は,職場から英会話教室に参加するにあたって補助が出ていた(私が退職する前には既になくなっていたと思う).この制度を使って補助の出る範囲でしばらくベルリッツに通っていた.内容は,日常生活においてよく遭遇する場面を講師とロール・プレイするというもので,実践的ではあった.よく覚えているのは道案内をするという内容の回で,少なくともこの回は非常に役に立った(後述する IELTS の Listening が割とこういった日常会話をよく取り上げる).
  • 通信教育:職場が提供する通信教育のメニューがあって,上長の許可さえもらえれば無料でそれらを受講することができた.英語の通信教育もあったので,これを受講してみたことがある.テキストが送られてきて,そのテキストを予め定められたスケジュールに沿って進めつつ,ときおり作文などをして,どこぞに郵送をすると,添削をしてもらえるというものであった.加えて,ときおり電話で講師と,郵送した作文について議論をしたように記憶している(今から思うと実にアナログな教材である).これも今となってはどのように役に立ったかは定かではない.

書き出してみると割と散漫ではある.よくいわれる学習法として,海外ドラマを見る,というものがあるが,私はそもそもあまりドラマを見ない上,テレビの前でじっとしているのが苦手なので,そういったことはしなかった.見てみれば楽しいのかもしれない(特攻野郎Aチームとか supernatural だとかそういったものであれば……).

ほどなくして, TOEIC のスコアが900を超えた.あまり時間はかかわらなかったと思う(1年から2年くらい).この経験を踏まえると,ぼちぼち勉強していれば, TOEIC で900くらいはさほど困難ではないのだと思う.個人的には, TOEIC は Listening の方が簡単で,これは難しい単語が Listening にはあまり出てこないためだと思われる. Reading ではときおり謎の単語が現れることがあって,スコアを伸ばしていくためにはそういった単語を1つ1つ覚えていかないといけない.

TOEIC のスコアをどう考えるか,というのはなかなか難しい問題だとは思うが,これについて記憶に残っているのは, IBM の東京基礎研究所の所長を務めておられた丸山さんの Research That Matters という本である(この本はとてもいい本なのでおすすめします).研究者には英語が重要だ,というような節で, IBM の東京基礎研究所の研究員の TOEIC スコアの平均は800を超えている,という記述が(ポジティブな文脈で)あった.これは1つの参考になるのではないかと思う.

この頃を思い出すと,一応,目標は達成したものの,多少の安堵ばかりで,あまり喜ばしい気持ちにはならなかったことを覚えている.私の通っていた中学校と高校は帰国子女が非常に多い学校で,親しい友人の一人は中学生の時点で TOEIC で満点を取っていた(彼はそもそも語学力云々以前に非常に聡明だったが……).最近知ったのだが,母校に帰国子女として入学するために求められる英語力はべらぼうな水準のようだ.子供を帰国子女にしようと血眼になる親の気持ちがわからないでもない.加えて,前職の職場は語学力が高い人が多く,ようやく人並みになったという多少の安堵を覚えたばかりだったように記憶している.

よかったこと

  • ひとまず TOEIC のスコアを上げることを目標にして,合目的的に TOEIC の勉強をしたことはよかったように思える.
  • 結果的には,割と継続しやすく,趣味嗜好にあった勉強法であったように思える.本を読んで淡々と勉強するだとか,ニュースを聞く,というのは嗜好にあっていた.ドラマが好きな人はドラマを見た方がいいのかもしれない.

よくなかったこと

  • このときに養われた英語能力はかなり TOEIC に最適化されたものになっていて,自分が実際に英語を使わなければならない状況(国際会議など)にはあまり役に立たなかった.

国際会議は楽しめない

TOEIC のスコアが900に到達しても,しかし,特に変わることはなかった.国際会議に行っても発表は聞き取れないし,質疑で困るし,他の参加者とざっくばらんに話すということはもちろんできない.これは当たり前の話で,特段 Speaking や,学会などの文脈における Listening を勉強していないのだから,できるはずがない.

私個人の印象では, TOEIC だけを指標として考えた場合では,950前後が,英語での会話が何とかなる水準なのではないかと思う.バランスよく勉強した人であればまた違うのかもしれないが…….世間一般の想像する英語ができる人と, TOEIC のスコアが高い人は言うまでもなくかなり乖離していて,上の節でも書いたが, TOEIC のスコアを上げるだけであれば TOEIC に最適化した勉強をすればよいと思われる.問題は実用的な英語能力の方なのだった(この実用的な英語能力というのがなかなか難しいのだが).

この時期はひとまずの目標を達成してしまったが,しかし実用的な英語能力が身についているとはまったく言えず,どうすればいいのか,暗中模索していた.確か以下のようなことをしていたと思う.

  • 文法書:どうも, Speaking において文を作るにあたって文法を復習しないといけないのではないか,と考えたように思う.元から文法は嫌いではなかったが,自然言語処理の研究に携わり始めてから読むと見方がずいぶん変わって,文法書を読むのは楽しかった.覚えないといけないのが大変ではあるが…….
  • フィリピン英会話:有給休暇が異常に溜まっていたことがあり,その消化も兼ねて2週間ほどフィリピンの英会話学校に行った.結論からいうと,2週間ではあまり意味がなかったと思う.3ヶ月くらいいればまた違ったのではないかと思うが…….1日8時間程度,毎日マン・ツー・マンで英語の授業を受けていた.有益だったと思う授業の1つは発音の授業で,これは非常に役に立った.もう1つは英語でディスカッションをするというもので,毎回毎回,何かしらのトピック(ある種の倫理を問われるような状況が多かったように思える)についてああだこうだと議論していた.これはいま思うと研究者として必要とされる英語能力を醸成する機会になっていたように思える.同じ時期に来ていた人は Side by Side を持ち込んでこれを延々と勉強していた.いま思えば,このように自分で教材を持ち込んでそれに基づいて授業をしてもらった方が有益だった.

本当の(?)英語の試験

あまり時を置かずして,訳あって TOEFL や IELTS の勉強を始めた. TOEFL は大学の1年生の頃に一度受験して,そのときは確か Paper-Based Test (昔はまだ紙による試験があった)で500程度のスコア(実に悲惨なスコアだ)であったように記憶している.いま思うと,ここで目標を変更したのは非常によい選択だった. TOEIC で990を取るために細かい勉強をするよりは全体的な英語力の底上げになることに加えて, TOEFL は特にアカデミックな文脈を重視しており,国際会議などで必要となる英語能力と相性がよかった.

TOEFL の勉強を始めてから,今まで自分は英語の勉強をしていなかったことに気がついた.英語の勉強というよりは TOEIC の勉強をしていたのだった. TOEFL の Listening では,教授と学生の2人が英語で会話をしていて,レポートの進捗について云々,というような会話を聞き取り,その内容に関する設問に答えさせられる.レポートの提出期限が変更された,と教授が言ったことをちゃんと聞き取れるかということで,恐ろしく実践的である.学生生活において,宿題の提出期限が早まった,と他の学生が話しているときに,それを聞き取れないということを想像してみて欲しい.とんでもないことになる.

この頃はとにかく TOEFL の問題集を Reading / Speaking / Listening / Writing と買って,延々と勉強していた.まず日本語の TOEFL の参考書を買ったが,根本的に内容が不足していることに気がつき(量が足りない),その後は英語の TOEFL の参考書を買った:

  • TOEFL Reading: TOEFL の Reading はいま思えばかなり与しやすく,最初からそこそこスコアが取れたように記憶している.とにかく時間がないので,解き方に慣れるまでは大変だった.
  • TOEFL Listening: TOEFL の Listening の問題で思い出されたのは,小学生のときに中学受験のために勉強した国語の問題だった.これは,話者の気持ち(話の主題に対する話者の立場)を答えなさいというような曖昧な設問が出現するためで,完全に内容を聞き取ったとしても間違えることがある(問題集の中にはなぜその答えなのかわからない問題がいくつかある).この頃に感じたのは,ようやく英語そのものを勉強するのではなく,英語を道具として運用することを勉強する段階に入ったという印象で,このことは非常によく覚えている.聞き取ることが目標ではなく,聞き取ったことについて推論した上での回答が必要になるのは1つの境界であるように思われた.私にとってはとにかく Listening が難しく,公式問題集を延々と勉強していた.
  • TOEFL Speaking:ある特定の事柄について簡単に意見を述べよ,であるとか,学生の会話を聞いてそれを要約して述べよ,といった問題が出てくる.内容としては難しくないのだが,制限時間内に整然と内容を述べることはかなり難しい.基本的には事前に,こういった場合ではこういったパタンで喋る,といったテンプレートを用意しておいて(自然言語生成だ),それで何とかした. TOEFL Speaking は依然として難しい.
  • TOEFL Writing:英語で学術的な文章を書く機会が多かったためだと思うが, Writing も Reading 同様,スコアが取りやすい.問題は,文法や綴りの誤りなく, Writing 能力を示すために,かなり難しい単語を使って書かないとスコアが伸びないというところで,この点は学術論文と雰囲気が違う.

ついでに IELTS についても書いておこうと思う. TOEFL に比べて日本ではなじみがないが, TOEFL と同様に世界で広く通用するスコアであるし, TOEFL よりかなり与し易い.

  • IELTS Reading: IELTS の Reading は TOEFL の Reading と比べると文章が短く,出現する単語も簡単なので(ときおり風変わりな構文が現れることがあるが),非常にわかりやすい.少し勉強すればほぼ満点近く取れると思う.
  • IELTS Listening: IELTS の Listening は身近な話題が多く,ツアーガイドの説明を聞き取ったり,チケットの予約をしようとしている男性とオペレータの女性の会話を聞き取ったりする. IELTS の独特なところでは,ちゃんと金額だとか日時だとか,細かいところを聞き取れるかを問うてくるところで,このあたりは実践的である. IELTS の Listening は TOEFL のように長い対話を最初から最後まで一気に聞き取るようなものではないので,かなりやりやすい.
  • IELTS Speaking: IELTS の Speaking はインタビュー形式である. TOEFL のようにマイクに回答を吹き込むよりは,会話形式の方が私はよほどやりやすく,そのため IELTS Speaking は割と楽であるように思われた.出題される主題は身近なものが多いが,多岐にわたるので,事前にそれなりに準備は必要だと思われた.
  • IELTS Writing: TOEFL と異なり, IELTS では Writing が一番難しい.これは与えられた時間の割に書かなければいけない文章の量が多いためで,文章の構成をざっと考えたあとはひたすら文章を書く必要がある. TOEFL と異なり IELTS は全て手書きなので,回答用紙に文章を書かなければならない.そのためあとから文章を編集することが難しく,回答を書き始める前に構成を練る必要がある.

ちょっとチャレンジしてみるかという気になる

時間は多少前後するような気がするが,少し状況が改善されたと感じたのは,2013年の夏に参加した国際会議で,多少能動的に参加できたように思われた.この会議ではなかなか印象的なことが多かったが,自分とほとんど関係のない分野の研究者の飲み会に巻き込まれるということがあり,そもそもあまり親しくない人との飲み会というのはなかなか苦労があるが,英語でやらないといけないというのはなかなか大変だった.まあ,でも,飲んでいるうちにどうでもよくなるもので,このときに割と,まあ,なんとかやっていけるかもしれない,という気持ちになったことをよく覚えている.

翌2014年の夏には,国際会議に行くついでにこのときに親しくなった先生の研究室を訪問させてもらった.このときにはその先生とスコットランドのビア・バーでビールを飲み,その後ウイスキー・バーでウイスキーを飲んだが,帰路,英語を勉強しておいてよかったなあ,と心底思った.いろんな人と飲みに行く,というのは自分にとって非常に大きな動機付けだった.

危ないところだった

そんなこんなで,いろいろありつつも,昨年の半ばから大学の教員になった.私の所属している研究室にはアジアからの留学生が多く,彼らと会話をするときは基本的に全て英語にならざるを得ない.インドネシアから来ている博士学生などは私よりよほど英語がうまい.昨年の7月から10月頭にかけては,ケンブリッジ大学から自動要約分野で高名な先生が研究室に3ヶ月ほど滞在され,研究の議論をすることになり,ああだこうだと話をしていた.今のところ,(たぶん)ぎりぎり何とかやれているとは思うが,しかし,これはこれまで遅々とした歩みながらも勉強を続けてきたある種の成果なのではないかと思われる.もしあまり勉強をしてこなかったのであれば,もっとも,そうだとしたら教員になることはなかったと思うが,おそらくもっととんでもないことになっていたであろう.

振り返ってみて

相変わらず私の英語はひどいものだと思う.最近はまた別の目標があり,やはり依然として英語の勉強が必要なので,相変わらず勉強している.英語には悩まされる.いろいろ苦労した(いまだにしているが)上である種の収穫とでも呼べるものは,やればできる,という感覚である.勉強したので多少は,少なくとも昔よりはずいぶんよくできるようになったことは間違いがない.これはあまり参考にならないが,自分自身の性格と,勉強についてもちょっと記録して書いておこうと思う(本論とあまり関係がないので,適宜,読み飛ばしてください).

  • 自分は試験を受けることがさほど嫌いではないことは,振り返るとよいことだった.安くはない試験費用を払い,寒い日や暑い日に,休日にもかかわらず,試験中にお手洗いに行きたくなるとまずいので水分も我慢して,行ったこともない試験会場に出向くことは苦痛以外の何物でもないが,一度試験が始まってしまうと,そのあとの数時間はとにかく試験だけに集中すればよいので,雑事から解放されている試験中の感覚はとても好きだった.フロー状態とでもいえばいいのか,ぎゅーっと集中しているときの感覚は非常に独特で,むかし水泳/陸上をやっていたが,一心不乱にゴールに向かって泳いで/走っている感覚と似ている.人生,何かと考えないといけないことが多く,まったく参ってしまうが,試験中や競技中はとにかくそのことだけを考えればよいという言い訳が立つので,精神的には非常に楽である.
  • あまり勤勉な方ではないしもとよりあまり勉強ができる方であるとも思えないが,性格的にしつこいところがあるので,時間がかかっても何とか目標を達成しようというある種の執念というか妄執というか,そういったものがあったことはよかった.

何となくのまとめ

基本的な作戦としては,以下のような塩梅がよろしいのではないかと思う:

  1. 具体的な目標を定める:過去にも大勢の人々が同じようなことを言っていると思うので,情報量がないが,しかしこれは最も基本的なことだと思われる.過去に, TOEIC などの指標は,当人の英語能力のの実態を必ずしも正確に反映するものではないから,といって,具体的な目標を設定することを避ける人がいたが,私はそれはあまりよろしくないと思う.実態を正確に把握することはそもそも容易ではないし(実態とは何か,ということになるが,そもそも「実態」なるものを把握することはできないと思う),また目標を設定せずに努力することは難しい.試験のスコアは何らかの能力の近似だということを踏まえた上で,自分の英語能力をある程度,近似する指標として試験を活用していくべきだと私としては思う(自動要約の評価で ROUGE を利用することと似ている).また,その際には,よい指標に従って学習していく(最適化していく)ことが重要だと思われた.個人的には, TOEFL や IELTS を指標にしていく方がいいと思うが,これらの試験は受験そのものが大変であり(長時間にわたって拘束される上に,受験費用も高い), TOEIC とは比べものにならない難しさであることに加えて,勉強しなければならない項目も多いので,とりあえず TOEIC のスコアを上げていくという作戦でもいいかもしれない.個人的には英語の勉強に際しては TOEFL 100 か, IELTS 7.0 を目指すのがよいのではないかと思う(この2つのスコアは同等のものとして一般に扱われているようではあるが,個人的な印象では明らかに TOEFL の方が難しい.ちょうど外務省入省に TOEFL あるいは IELTS のスコアが求められるというニュースがあったが,スコアを達成するだけであれば IELTS に集中した方がよいと思われる).
  2. 目標としている試験をまめに受ける:研究であれば,システムを少しずつ変更するなどして,徐々に評価値を改善していく,といったことがよく行われる.この類推で,自分の英語能力というシステムを,勉強によって徐々に改善していき,その効果を試験でこまめに評価する.スコアが徐々に上がっていく様子を観察するのはとても楽しく,何よりも自分を強く動機付けてくれる.
  3. 延々と勉強する:一部の天賦の才に恵まれた人を除いて,自分の母語からその性質が遠く離れた言語を学習するということはそもそも難しいのだと思う.労なくして母語でない言語を習得するというのは,少なくとも私のような凡人には難しい.なんであれ,とにかく勉強するしかないように思われた.

勉強法などと言えるほどのものではないし,そういったことを述べる資格があるとは思えないが,もし修士課程修了時に戻って,再度,勉強するのであれば,以下のような作戦を取ると思う:

  1. 金で解決する:ベルリッツに行ったりフィリピンに行ったりはしたが,基本的には独学で,教材を買って自分で勉強していた.行ったことはないが,世の中には TOEFL 対策の学校などがあるので,そういったところに通った方がいろんな面でよいのだろうと思う.金を払っているので元を取らなければと思うだろうし(少なくとも自分は思うだろう),効率がよいと思われる.こういったサービスが提供されている地域は大都市が中心だろうし,また通うためにはお金も時間もかかるので,都市部にある程度のお金と時間がある状態で居住することは,身も蓋もないが効率のよい能力開発のためには重要なことであるように思われた.
  2. 誰かと一緒に勉強する:自分はまったくこういったことをしてこなかったが,同好の士,つまり同じように語学学習をしている人と一緒に勉強をすればもう少し効率良く勉強できたのかもしれない.
  3. 投入時間を増やす:ちょっとこれはどうすればいいのかよくわからないが,もう少し英語の勉強に時間を割くべきだったとは思う.冒頭の @niam さんのツイートに戻ると,時間をかけて勉強をしなければいけないことが数多くあることは,有限の時間を配分する上でも,精神的にも好ましくないので,時間があるうちに,いずれ必要になることは勉強しておいた方がいいとは思われた.

まあ,ひとまずこんなところで…….何かありましたら @hitoshi_ni までどうぞ.

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2015年9月23日水曜日

NLP 若手の会第10回シンポジウム (YANS 2015)

2015年9月3日から5日にかけて NLP 若手の会第10回シンポジウムを開催しました.ご参加くださいました皆様,どうもありがとうございました.

2011年と2012年のシンポジウムでは委員として会に関わっていましたが,昨年, PFI の海野さん,東北大学の岡崎さんとともに委員長を拝命いたしましたので,それなりに指導的な立場で関わることになりました. NLP 若手の会では,私の知る限りでは,ずいぶん前から(もしかしたら設立当初から)複数の委員長を置く形態になっており,複数の委員長のなかの1人が交代である年のシンポジウムの開催の諸々を担当する,という形になっています.現在の委員長の任期はそのため3年で,今年は海野さんが運営の諸々を主に担当され,来年は西川が,そして再来年は岡崎さんが運営の諸々を主に担当することになります.複数の委員長を置く体制は負荷の分散やフェイル・セーフの観点から何かと便利で,この仕組みは今後とも続ける必要があるのだと思います.

昨年末から今年の頭にかけては,海野さん,岡崎さんと若手の会の基本的な方向性を議論し,その後は,私はちょっと後ろに下がって,海野さんを補助するような形で運営に関わっていましたが,海野さんに何かと任せきりにしてしまったと少々反省しています.いずれにせよ来年は働かないといけないということはあるのですが…….

NLP 若手の会シンポジウムが合宿形式で行われたことは今回を含めて3回あり,2005年に熱海で,2014年に三浦海岸で,今年2015年は和倉温泉でそれぞれシンポジウムが開催されました.合宿形式での開催はとにかく大変で,これは宿所に関わる諸々の手続きを全て運営委員会が行わなければならないことによります.合宿に関連する仕事はもう完全に,研究者のいういわゆる「雑用」に相当するようなもので,若手の会の委員は若い自然言語処理研究者および技術者で構成されていますので,こういった仕事をお願いするのはなかなか心苦しいものがありますが,委員の皆様の尽力で無事に開催することができ,胸をなで下ろしています.


図1 : バーベキューの準備のため火おこし.天候に恵まれました.

図2 : Google のマネジャーに指示され焼きそばを作る Google のエンジニア.
この焼きそば,単価が恐ろしく高い.

今年のハイライトといえば何といってもバーベキューで,参加者の皆様の会場への移送や食材の調達などいろいろ準備がありましたが,個人的に印象に残っているのは火おこしで,普段はプログラムを書いたり論文を書いたりしているプログラム委員たちが悪戦苦闘しつつ揃って炭火を起こしている光景はなかなかシュールでした.面白い話としては,東京工業大学の奥村・高村研究室の皆様が火おこしに熟達しており,これは同大学すずかけ台キャンパスの構内にはバーベーキュー場があり,同研究室では頻繁にバーベキューが催されているからなのですが,大変助かりました.人生,何が役に立つかわかりませんね.

西川自身は自動要約プログラムのデモをしました.詳しくはまた別途書きたいと思いますが,招待講演してくださった @oza_x86 さんから JavaScript 版要約器を作ってはどうか,とご助言をいただきました. JavaScript 版の要約器は作ろう作ろうと以前から考えつつもなかなか手をつけていなかったもので,せっかくお言葉を頂戴したのでこれについてはさっそく作ってみました.若手の会はこういった議論が動機付けになり,新しいことをしようという気にさせてくれるところがありがたいと思っています.


図3 : 後始末を終え,帰りの特急列車でビールを飲み始める我々.
後ろの席で疲れた海野さんが寝ています.

来年も何とか頑張りますので引き続きよろしくお願いいたします.

2015年3月29日日曜日

自動運転と自然言語処理

ここしばらく注目を集め続けている重要な技術目標として,自動運転が挙げられることは言を俟たないと思います.この問題は,本質的には画像認識とそれに基づく制御の問題で,自然言語処理にはあまり関係はなく,したがって研究者としての私にも同様にあまり関係のないものだと考えていました.しかし,どうも,ここしばらく,自然言語処理もこの自動運転にそれなりに関係してくるのではないか,と思い始めました.今回の言語処理学会ではこういったご発表がありました:
また,昨年の人工知能学会ではこういったご発表もありました:
こういった運転免許の学科試験を扱う課題は,平さんがお書きになっておられるように,「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトと同じように,自然言語処理の現実的な諸課題を適度に縮小したテスト・ベッドとして扱われているものだとこれまで考えていました.しかし,冒頭でご紹介した,今回の言語処理学会のご発表を拝見して気がついたのですが,これはなかなかどうして自然言語処理にも関連する話題に思われてきました.

この課題については,法的な観点と技術的な観点から考えられるようです.まず,法的な観点を考えると,ある種の機械が自動車を運転するということをどのようにして許すべきなのでしょうか.ハンドルやアクセルペダル,ブレーキペダル,シフトレバーといった基本的なインターフェイスを備えたこれまで通りの自動車が存在するものとして,方法はともかく(これらの物理的に操作するのではなく電子的に操作することも考えて),これらのインターフェイスを通じて自動車を運転する何らかの機械にどのように運転免許を与えるべきなのでしょうか.やはり,試験を機械に突破してもらわないといけないような気がしてきます.

ご存じの通り運転免許は技能試験と学科試験(と適性試験がありますが,この能力については人間より機械の方が高いでしょう)から構成され,前者ではS字やらクランクやらを通過させられたりするわけで,こちらについてはおそらく画像認識が中心的な課題となるのでしょう.もう一方の学科試験は,これは機械に自然言語解析の段階から挑戦させるのか,あるいはテキストには豊富な前処理(正しい解析)が加えられており(東ロボの問題設定は現時点ではこちらでしたね)その後の推論を主に問題にするのかによってずいぶん毛色は異なるものの,前者であれば自然言語処理の出番が大いにあるように思えます.

後者の技術的な観点に関しては,交通法規や自動車の運転に必要な暗黙的な知識ををどのような形で機械が保持しておくべきかという問題があるように思われます.交通法規は頻繁ではないものの改正がなされることがあり,これについては冒頭の文献で河辺さんが指摘されているように機械にハードコーディングするべきではなく,別途,交通法規オントロジーとして,静的な形で保持しておく必要があるように思われます.

交通法規についてはあまり頻繁に改正されるようなものではないと思われるため,交通法規オントロジーは人手で作り込めばよく,そのためあまり自動獲得の要はないようには思えます.一方,その周辺に存在する,交通マナーであるとか,あるいはいわゆる危険予測で問われるような交通に関する暗黙的な知識は容易には書き尽くせないと思われます.これらをどのように獲得,表現し,その上で推論するかという課題がここにはあるように思われ,雲をつかむような話にも思えますが,何かしらの知識獲得が必要になってくる気配はあります.

さほど遠くない先にこのあたりについては面白い結果が出てくるのではないかと思われ(既にあるのかも),今後も注目していきたい分野です.