2016年2月29日月曜日

人をどう見るか

教員になって学んだことは数多くあるが,大きな1つはある人の人となりをどのように見るか,ということにあるように思う.もちろん,これまで自分は数多くの人に会ってきたので,それぞれの人がどのような人であるか,ということについて自分なりの見解を持って生活してきたし,それに基づいて人と接してきた.しかし,どうもこれまでは人をどのように見ればいいか,ということについて深く納得できたことはないように思う.そういったことに関する本もいくつか読んだが,根本的に人間は極めて複雑なもので,人となりについてはかなり曖昧な,概ねこういったものであろう,といった捉え方しかできなかったし,今後もそうせざるをえないのであろうと思って生きてきた.しかし,教員になってからは,この点についてかなり理解が深まったというか,自分なりの指針ができたように思う.腑に落ちた,ともいえる.そのことについてちょっと書いておきたい.

人となりを探る実験

教員の面白いところは,学生に対してある種の人となりを探る実験をしていることにあるように思う.いま,私は6人の学生と週に1度,打ち合わせを持っている.打ち合わせでは学生2人が1つの組となっているので,週に3回の定期的な打ち合わせがある.打ち合わせでは学生から研究の進捗状況を聞き,適宜助言をし,次の打ち合わせまでの宿題を設定する.これをここ1年弱,繰り返してきたわけだが,さすがに1年近く同じことを繰り返しているとその学生の人となりがかなりよくわかってくる.この過程の重要な要素を抽出すると,以下のようになると思う.

同じ入力を与える

重要な要素の1つは,別の人に同じような,少なくともかなり近い指示を与えたときに,どのような反応をするかと観察することにあると思う.教員はこれを観察するのに非常に適していて,打ち合わせで同じような指示を異なる学生に与えたときに,その次の週に,学生がその指示に対するどのような回答を用意してくるか,加えてどのように回答を用意してくるかで,その学生の人となりが如実に表れる.おそらく,同じような職務を果たす複数人の人を管理する管理者も同じような見識を得られるのだと思う.どうも,前職の研究所では,少なくとも私のいた部署では,同じような職務を果たす人,というのはまずおらず,これは研究所では一人一殺とでもいうか,個々人がある特定の分野の専門家として異なる見解を持つことが当然であったからだと思うが,こういったことを実に観察しづらかった.教員の仕事の1つは当然だが学生を指導することにあるので,同じような条件で異なる対象を比較することができて,この点について理解が深まりやすい.

繰り返す

次に重要な要素はこの指示,すなわち入力と,それに対する回答,すなわち出力の観測を繰り返すことにあると思う.1度だけの反応であれば誤差かもしれないが,さすがに何度も繰り返すと一定の傾向が出てくる.毎回,締め切りをあまり守らない人はやっぱり守らないし,律儀に守る人はやはり守るので,これはその人が根本的にそういった傾向を持っているのであろうと判断して間違いないであろう.

固定された関係

最後の要素は,私と学生の関係が,教員と学生という極めて固定された,わかりやすい関係にあることにあると思う.学生と何らかのやり取りが生じるとき,私はあくまで教員として振る舞うし,学生は当然学生として振る舞う.これがあるとき,私がある学生と,家族あるいは友人のような関係を持っていたとすると,当然やり取りは異なるものになってくるだろう.教員と学生のような固定された立場を前提としてやり取りを行うことは,よく練られた実験設定に似て,反応の再現性を高めてくれる.また,異なる人を同じ状況で観察することを助けてくれる.どうも,私はこれまでかなり個別の人に対してその人に特化した付き合い方をしてきたように思う.友人Aには友人A向けの付き合い方,友人Bには友人B向けの付き合い方,ということをしていたため,異なる友人を同じ土俵に乗せて見てこなかったように思う.このことは人となりを見る見識を養うことをかなり妨げていたように思う.

一般化はできるのか

まとめると,ごくごく当然のことだが,同じような状況で同じようなやり取りを異なる人とすると,反応の違いによって人となりがわかってくることになる.どうも,私は,ある人と接する時,状況ややり取りの同一性の判断を,枝葉末節にこだわりすぎて,うまくしてこなかったように思う.人工的な環境では,就職や人事の上で生じる面接などがこれに相当するだろうが,日常的な状況ではなかなか難しい.これまではこういった,かなり理想的な環境での実験ということができなかったので,なかなか納得できることがなかったが,教員になってこういったことを一度体験すると,腑に落ちるとでもいおうか,ずいぶん納得できる.

おそらくさらに根本的にはその人をどのように見たいのか,どのように見るべきなのか,というある種の目的があることが重要であるように思えるが,それについてはもう少し考えないといけないことがあるように思う.まあ,ひとまずこんなところで…….

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